「色若衆」を入力した

今日は中篇の「色若衆」の入力を完了した。どちらかというと本格的な推理物なのだが、伏線の用意が足りないため、最後のどんでん返しがすっきりしない。
そのためであろうか、昭和22年に報知新聞が「新報知」という紙名で夕刊紙として復刊された際に連載された中篇3作、「八五郎女難」「有徳人殺害」「色若衆」の中では、他の2作が単行本として報知出版社から連載終了から間もなく出版されたのに対して、色若衆は昭和25年に春陽堂の銭形平次作品集(現代大衆文学全集2)が出版されるまで、再掲されることはなかった。(野村胡堂の書誌に関する文章は、かなり不完全なものが多いので、色若衆の単行本は出されなかったと言い切るのは難しいが、まず間違いは無いと思う)
ところで、色若衆の入力をきっかけに、昨日は東京ドームにある「野球殿堂博物館」に行ってみた。
銭形平次と野球殿堂、一見、何のつながりがあるのかわからないかもしれないが、報知新聞というキーワードから納得される方もおられるのではないだろうか。
野球殿堂博物館の図書室には戦後の報知新聞、スポーツ報知がかなり整備されて所蔵されており、復刊後間もない頃の新報知は、実は国会図書館にも無い。報知新聞社の広報の話では、他の図書館にもこの当時の新聞は残っていないだろうとの事であった。
ただ、野球殿堂博物館図書館でも残っているのは昭和22年4月からなので、22年4月1日で連載が終結した色若衆が残っているかどうかは、行ってみるまでわからなかった。
幸いにして、4月1日から4月分全体が製本されて保管されていたので、色若衆の最終回の現物を見ることが出来た。報知新聞社の社史『世紀を超えて : 報知新聞百二十年史 : 郵便報知からスポーツ報知まで』には新報知の復刊と銭形平次の連載について日付入りで掲載されているので、これが根拠にはなるのだが、最終日付が一致していて、このデータの信憑性が確認できた事もうれしい。
ところで、色若衆は連載終了後も単行本化されなかった(と思われる)ので、春陽堂で現代大衆文学全集2に収録する際には、新報知の連載を見るしかなかったと思われる。本が作られたのは連載から3年後なので、その当時であれば新報知のバックナンバーを在庫していた図書館なども多かったのかもしれない。70年後の現在からは想像がつかない。
色若衆の最終回、挿絵は山口将吉郎氏。

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新報知紙のタイトル。この当時の新報知はスポーツ新聞ではなく通常の総合紙。ちなみにトップ記事は旧憲法下の最後の議会の解散。

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