初出が判らず、なぜ全集が作れたのか?

銭形平次は本当に383編なのか?これは誰にもわからない、というのが本当のところであろう。
筆者の野村胡堂は「四百二十幾編」とか「三百八十幾編」とか書いている。
改題して雑誌に掲載されたり、雑誌に再録されたものもあるので、それを含めれば「四百二十幾編」という野村胡堂の記憶はあながち的外れではないかもしれない。プロの作家であれば、何作書いたよりは何回雑誌に掲載されて原稿料をもらったかの方が、より切実なマターであっても不思議ではないからだ。

で、今進めているPDF版の銭形平次全集の底本は河出書房版全集なのだが、これは同光社磯部書房版の全集に、その刊行以後に書かれた作品を付加したものと考えてよい。同光社の全集は旧字旧仮名なので、それをほぼそのまま新字新仮名に改めただけという、まことにお手軽・お気楽な作り方の本なのである。(誤字さえもほぼそのまま)
で、同光社の全集が発行された昭和28年から30年ごろの時点で、すでに初出が判らなくなっているものがかなりある。初出が判らずにどうやって全集が作れたのかということなのだが、残っていた原稿によった可能性はさほど高くはなく、どこかに作品を再録した本があって、それらを底本として全集を作ったが、その底本に初出が書かれていないために、混乱が生じたものと思われる。
特に野村胡堂は戦後の混乱期には銭形平次と池田大助の二つのシリーズの捕物控を書いていたので、それらがごっちゃになった結果と思われる誤りもある。

で、今日は国会図書館のデジタル化コレクションを調べてみた。このデータベースの良いところは目次が外部からも閲覧できることである。
その結果、
新編銭形平次 改造社 昭和26年
長篇小説名作全集 講談社 昭和25年
現代大衆文学全集 春陽堂 昭和25年
の3冊に、初出不明となっている作品が網羅されていることがわかった。
これらから孫引きすることによって本が作れたわけである。

では、これらの3冊の本に所収された以外に、オール読物以外に掲載された作品は
無いのか?全部判っているのか?と考えると、むしろ、それはかなり怪しいとしか
思えない。
というのが、前にも述べたが、同光社版全集では正直に「不明」となっていたのを
河出書房版では「書き下ろし」に書き換え、それを文春文庫の書誌を書いた鳥兎沼佳代
なる人物が、自分で調べて判らなかったものはすべて河出書房版の丸写し(しかも参考資料には
河出書房版全集とは書いていない!)という安直至極で酷く無責任な「仕事」をしたので、
もう、めちゃめちゃと言ってよい状態になってしまったのである。その素性の悪さ、レベルの低さ
から見ると、これ以外の作品は無いと言い切るには、同光社、河出書房の「全集」の作り方は
かなり杜撰であるため、甚だ根拠不足のようにも思われるのだ。
というのは、実際の出典資料の3冊は、別に銭形平次を完璧に網羅しようとして作られた
本ではないからである。埋もれているものを掘り起こそう、マイナーな雑誌に載った
作品を収録しようという努力は行われたとは思われるが、網羅しようとは思っていない。
だから収録漏れがあっても、まったくおかしくはないのだ。
それにしても、鳥兎沼佳代という人物、金をもらって物を書くというには、あまりにも無責任と
いうか、学究的姿勢に欠ける。というか、そもそも人質が、こういう緻密な作業を伴う仕事には、
基本的に向いていない方とお見受けする。生き恥を晒し、上塗りするだけなので、こういう仕事は
なさらないほうが宜いとご忠告申し上げる。

追記
同光社版、河出書房版、文春文庫版の書誌で初出不明あるいは書き下ろしとされている作品は
以下の通り。
棟梁の娘→長篇小説名作全集(講談社)所収
娘の役目→新編銭形平次(改造社)所収
風呂場の秘密→長篇小説名作全集(講談社)所収
お此お糸→新編銭形平次(改造社)所収
嵐の夜の出来事→現代大衆文学全集(春陽堂)所収
蔵の中の死→長篇小説名作全集(講談社)所収
艶妻伝(文春文庫版で「別冊月刊読売」と判明)→長篇小説名作全集(講談社)所収
鍵の穴(文春文庫版で「小説の泉」と判明)→長篇小説名作全集(講談社)所収
若党の恋(文春文庫版で「クラブ」昭和23年1月号と判明)→長篇小説名作全集(講談社)所収
飛ぶ女(文春文庫版で「小説の泉」と判明)→長篇小説名作全集(講談社)所収
遠眼鏡の殿様(河出書房版で別冊宝石と判明)→長篇小説名作全集(講談社)所収
妹の扱帯→現代大衆文学全集(春陽堂)所収
小判の瓶(他の方の調査で「東京」昭和23年5月号と判明)→長篇小説名作全集(講談社)所収
名画紛失(初出情報が誤っている)→長篇小説名作全集(講談社)所収
恋文道中記(初出情報が誤っている)→現代大衆文学全集(春陽堂)所収

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